インド史&インドの世界遺産検定(ヒンドゥー教・仏教編)① インド史に関する検定がとても少なく、インドの世界遺産はインドの王朝史を語る重要なものであるため、世界遺産と王朝史をからめた出題としました。 勉強 - 歴史・地理 世界史 インド史 ヒンドゥ教 世界遺産 歴史 Q1320年に即位したチャンドラグプタ1世によって建てられ、マハラシュートラ州、ワゴーラ川湾曲部分に築かれた石窟寺院の美術様式や、カーリダーサの「シャクンタラー」にみられるようなサンスクリット文学の隆盛でも知られた北インドの統一王朝は?選択肢マウリヤ朝クシャーナ朝グプタ朝ヴァーカータカ朝 Q2インド中部、マハラシュートラ州、ワゴーラ川湾曲部に築かれたヴァーカータカ朝の君主などによって設けられ、グプタ様式の壁画で知られる石窟寺院は?選択肢エローラシギリアアジャンタークムトラ Q36世紀後半から8世紀前半にデカン高原にあった王朝の君主ヴィクラマーディティヤ2世(位733/4年~744/5年)が、建築家グンダを招聘して南インドの王領各地から石工や彫刻家たちを多数招いて多くのヒンドゥー寺院群を建設したが世界遺産でもあるこの寺院群の名称は?選択肢アイラーヴァテーシュヴァラ寺院パッタダカルの建造物群カーンチプラムの建造物群ブリハディーシュヴァラ寺院 Q46世紀後半から8世紀前半にデカン高原に繁栄し、北インドの強力な王朝の攻撃を撃退したプラケーシン2世や「戴冠の都」と呼ばれた都市に多くの優れた石造のヒンドゥー寺院を築いたことで知られる王朝は? 選択肢パラヴァ朝バーダーミのチャールキヤ朝カルヤーニのチャールキヤ朝チョーラ朝 Q5南インドで9世紀後半から11世紀ころまで繁栄した王朝で、特にラージャラージャ1世(位985~1016年)によるパーンデイヤ朝への遠征、セイロンの北半分を併合、支配、東チャールキヤ家への介入、また、ケーララを支配下においてアラブ商人に対抗し て海軍を送ったり、ブリハディーシュヴァラ寺院(王の名をとって「ラージャラージェーシュヴァラ寺院」と呼ばれた)の建設した。また息子のラージェーンドラ1世(位:1012年~1044年)は、スマトラのシュリーヴィジャヤ王国に1017年と1025年に海軍を遠征させるなど、勢威を誇った王朝は? 選択肢ホイサラ朝バーダーミのチャールキヤ朝カルヤーニのチャ―ルキヤ朝チョーラ朝 Q6タンジャーヴールとガンガイコンダチョーラプラムにある「プリハディーシュヴァラ寺院」は、1987年に登録された。ダーラーシュラムにある「アイラーヴァテーシュヴァラ寺院」を2004年に登録範囲を拡張して登録した。このヒンドゥ―寺院の世界遺産登録名は?選択肢パッタダカルの建造物群大チョーラ朝寺院群カーンチプラムの寺院群カルヤーニの寺院群 Q7753年にダンディドゥルガによって建てられ、クリシュナ1世の時代にとある石窟寺院第16窟のカイラーサナータ寺院の建設、ゴ-ヴィンダ3世時代に北方のプラティハーラ朝の首都カナウジを陥落させ、スリランカに貢納を誓わせるなど8世紀後半から10世紀までデカン高原で勢威を誇ったヒンドゥ―王朝は? 選択肢アーンドラ朝カルヤーニのチャールキヤ朝ヤーダヴァ朝ラーシュトラクータ朝 Q8クリシュナ1世の時代に第16窟のカイラーサナータ寺院の建設で知られる石窟寺院は?選択肢アジャンターエローラクムトラキジル Q93世紀末から9世紀まで南インドに繁栄した王朝の君主ナラシンハヴァルマン1世(630年-668年頃)やその後継者は、タミル・ナードゥ州のカーンチプラムに首都を置いたが、その外港として貿易港であった場所の海岸と岩山に数多くの寺院や彫刻を残した。この王朝はどれか? 選択肢チョーラ朝チャールキヤ朝パラヴァ朝パーンディヤ朝 Q10ナラシンハヴァルマン1世(位630年-668年頃)とその後継者は、木造寺院を模して海岸と岩山に数多くの寺院や彫刻を残した。花崗岩の岩山を掘削した「石窟寺院」、「岩壁彫刻」、石積みの「海岸寺院」など、インド中世建築発祥の地のひとつとしてきわめて重要であることから1985年に世界遺産に登録されたのは?選択肢タンジャブールの建造物群マハーバリプラムの建造物群カーンチプラムの建造物群パッタダカルの建造物群