3/3のTwitterトレンド「GP延期」
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3/3のTwitterトレンド「GP延期」にちなんで「WGP検定」を紹介します。

WGP検定

1949年から始まった2輪の最高峰GP「世界選手権ロードレース」に関する検定です。

Q1
1949年から始まった2輪の最高峰GP「ロードレース世界選手権」 最初の年の500ccクラスチャンピオンに輝いたライダーは?
Q2
本来ならあってはならない事ですが、1949年シーズンにレース中の死亡事故が発生しています。現在では、グランプリカレンダーから除外されているマン島TTレースの350ccクラスでの出来事でした。死亡したライダーは誰?
Q3
一気に時代は10年ほど下ります。1959年シーズンには、日本からあるメーカーが当時のグランプリでシーズンの重要な一戦だったマン島TTに初挑戦します。125ccクラスで、そのメーカーから出場した4台のマシンが全車フィニッシュしてチーム賞を獲得しました。そのメーカーは?
Q4
1959年当時、あるメーカーがひときわ“異色な存在”として、力を発揮していました。そのメーカーは?
Q5
第4問で紹介した、東ドイツのメーカーMZ。このMZのマシンを見事に乗りこなし、その後日本に亡命してスズキのマシンに劇的な進歩をもたらした選手は誰?
Q6
1950年代末に、WGPの歴史に於いてもモータースポーツ全体の歴史に於いても二度と現れないであろう異色のチャンピオンが500・350の両クラスで破滅的な強さを見せていました。そのイギリス人ライダーの名前は?
Q7
東ドイツのマシン。MZの活躍をきっかけに始まるかに見えた2ストロークマシンの大攻勢。当時のMZが活躍するきっかけとなったエンジンパワーアップの秘密は、排気管にありました。その秘密とは?
Q8
中、小排気量クラスでは、2ストロークマシンによる大攻勢が始まりました。しかし、350、500の大排気量くらすでは、相変わらず4ストロークマシンが強さを見せつけていました。ホンダが多気筒、高回転エンジンを次々と投入し、強さを維持していましたが、当時の「強いホンダ」や「走る実験室」というキャッチコピーを印象づけるホンダエンジンの象徴的なエンジンとは?
Q9
1960年代にホンダを始めとした日本車勢がヨーロッパの各メーカーを完膚無きまでに凌駕した「マシン作りの方向性」があります。同年代末の日本メーカーの一斉撤退にもつながった、その方向性とは?
Q10
1970年代に至って、ヤマハの4気筒2サイクルYZR500の登場で、スズキもRG500の開発を決意。本格的な2サイクル時代の到来と共に日本メーカーの開発ライダーが人数は少ないながらも活躍した記録が残されています。そして日本人ライダーによる500ccクラス初優勝も70年代の出来事です。その日本人ライダーの名前は?

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